漏斗胸の手術を考える理由は、必ずしも呼吸や心臓の症状だけではありません。 「人前で服を脱げない」「胸のことが頭から離れない」——心の負担のほうが大きいという人は、決して少なくないと思います。

だとすれば、当然こういう疑問が出てきます。

手術を受ければ、この気持ちは楽になるのか。

この記事では、漏斗胸の患者 266 人の心理状態を手術前と手術 1 年後で比較した研究をもとに、この問いに答えられる範囲を整理します。 先に言えば、結果は単純ではありません。集団の平均得点は下がった一方で、抑うつ質問票の基準値以上だった人の約半数は、術後も基準値以上のままでした。

先に結論

  • 手術前、**266 人中 153 人(57.52%)**が、抑うつを測る自己評価式質問票(SDS)の基準値以上でした
  • 手術 1 年後、集団の平均得点は総得点・身体化・対人感受性・抑うつ・不安などで低下しました(p < 0.05)
  • ただし、術前に SDS の基準値以上だった 153 人のうち、約半数(76 人・49.67%)は術後 1 年でも基準値以上でした
  • これは「その人たちの得点がまったく改善しなかった」という意味ではありません。分類が変わらなかった、ということです
  • 術後の Haller index は、抑うつ判定の有無で有意差がありませんでした(p = 0.236)。ただしこの研究は「手術でどれだけ矯正されたか」という変化量を比較していません
  • これは対照群のない単一施設の研究であり、「手術すれば心が軽くなる」とも「意味がない」とも言い切れません

この研究が何をしたのか

C 小規模・後ろ向き mental

漏斗胸患者のメンタルヘルスに対する Nuss 手術の介入効果

Luo L et al. · 2017 · Annals of Thoracic and Cardiovascular Surgery
・中国の漏斗胸患者 266 名を対象に SCL-90 と SDS を Nuss 手術前後で比較
・全症状領域で術後 1 年に有意な改善(p < 0.05)
詳細を見る →

中国・北京の単一施設で行われた前向き観察研究です。 漏斗胸の患者 266 人に、手術の 7 日前手術の 1 年後の 2 回、心理状態を測る質問票に答えてもらい、その変化を追跡しました。

使われたのは次の 2 つです。

  • SCL-90(Symptom Checklist 90):身体化・対人感受性・抑うつ・不安など、複数の領域を測る心理症状の質問票
  • SDS(Self-rating Depression Scale):抑うつの程度を自己評価する質問票

対照群(手術を受けなかった人のグループ)は設定されていません。そのため、この研究は手術前後の心理状態の変化を追跡したものであって、変化の原因を手術だと特定できるものではありません。

この手術対象集団では、術前に半数以上が基準値以上だった

まず、手術を受ける前の時点です。この研究では 2 つの指標が報告されています。

指標手術前手術 1 年後
SDS による抑うつ判定153 人(57.52%)76 人(28.57%)
SCL-90 に基づく心理面の問題161 人(60.53%)79 人(29.70%)

つまり、この手術対象集団では、術前の時点で半数以上が質問票の基準値以上でした。

これは日本のデータとも方向性が一致します。慶應大学の

漏斗胸患者の QOL・心理状態・性格特性

詳細を見る → では、手術予定の日本人漏斗胸患者 129 人のうち **14 人(10.9%)**が PHQ-9 の基準値以上でした。論文が参照した一般人口の値(5.6%)より高い数字ですが、年齢構成や調査方法をそろえて選んだ対照群との比較ではないため、「漏斗胸によって 2 倍になる」と読むことはできません。使った質問票も国も違うので、Luo 2017 と直接比べることもできません。

それでも、漏斗胸と心理的負担に関連があるという方向では、複数の研究が重なっています。 この背景は漏斗胸と社交不安でも扱っています。

手術後 1 年:集団の平均得点は下がった

手術の 1 年後、SCL-90 の総得点および身体化・対人感受性・抑うつ・不安といった領域で、平均得点が統計的に有意に低下しました(p < 0.05)。 SCL-90 は得点が高いほど症状が重いことを示すので、得点の低下は、質問票上では症状が軽い方向への変化を意味します。

一方で、SCL-90 のすべての下位尺度が改善したわけではなく、有意差が認められなかった領域もありました(p > 0.05)。

なお、統計的に有意な差があることと、日常生活で実感できるほどの改善であることは別です。 この研究からは、得点の変化が臨床的にどれだけ意味のある大きさだったかまでは判断できません。

しかし、約半数は術後も基準値以上だった

集団の平均が下がったことと、一人ひとりが改善したことは同じではありません。 この研究は、そこを分けて報告しています。

術前に SDS の基準値以上だった 153 人を追うと、術後 1 年の時点で:

  • 77 人(50.33%) … SDS の基準値を下回った
  • 76 人(49.67%) … SDS の基準値以上のままだった

ここは読み方に注意が必要です。

この結果だけから、「約半数は楽になり、約半数はまったく変わらなかった」と分けることはできません。 SDS の基準値は 53 点です。つまり、たとえば 80 点から 60 点まで下がっても「基準値以上」に分類されるので、基準値以上のままだった 76 人の中にも、得点自体は下がった人がいた可能性があります。 逆に、基準値を下回った 77 人についても、心理的な悩みがすべて解消したことを意味するわけではありません

言えるのは、術前に SDS の基準値以上だった 153 人の中では、術後に基準値未満へ移った人と、基準値以上のままだった人がほぼ同数だった、ということです(266 人全体の半数という意味ではありません)。

術後の Haller index は、抑うつ判定の有無で差がなかった

著者らは、術後 1 年に SDS の基準値以上だった人と、基準値を下回った人とで、術後の Haller index を比較しました。

術後の状態術後の Haller index
基準値以上(抑うつ判定あり)2.59 ± 0.40
基準値未満(抑うつ判定なし)2.65 ± 0.37
有意差なし(p = 0.236)

両群の術後 Haller index に、統計的な有意差は認められませんでした。

ただし、ここは慎重に読む必要があります。 この研究は「手術前から術後にかけて Haller index がどれだけ改善したか」という変化量を、両群で比較したものではありません。 比較されているのは、あくまで術後時点に残っていた胸郭の形態です。

既存の研究との重なり

当サイトの軽度の漏斗胸でも苦しい理由では、Matsuda 2024 をもとに「術前の胸郭変形の重症度と心理指標に有意な相関は認められなかった」ことを整理しました。

対象・尺度・研究デザイン・分析方法がいずれも異なるため、この 2 つを一続きの証明として扱うことはできません。 ただし、胸郭の形態の指標だけでは心理状態を十分に説明できない可能性を示すという点では、方向性が重なっています。

術後も基準値以上だったことと関連していた要因

術前に SDS の基準値以上だった 153 人について、術後も基準値以上だったかどうかと、いくつかの要因との関連が調べられています。

要因結果
年齢術後も基準値以上であることと関連(p = 0.019)
罹患期間・病歴の長さ同上(p = 0.006)
性別有意な関連なし
学歴有意な関連なし
婚姻状況有意な関連なし
術後の Haller index有意な関連なし

年齢別の内訳は次の通りです(術前に基準値以上だった 153 人)。

年齢術後は基準値未満術後も基準値以上合計
11〜16 歳29 人14 人43 人
17〜22 歳40 人47 人87 人
23 歳以上8 人15 人23 人

この研究では、術後も基準値以上だったかどうかと、年齢カテゴリーおよび罹患期間とのあいだに統計的な関連が報告されました。 ただしこれは、年齢が心理的な経過を独立して予測すると証明したものではありません。各年齢層の人数は多くなく、他の要因の影響を調整した分析でもありません。

著者らはこの結果を「心理状態は時間をかけて形成されるため、簡単には変換されにくい」と解釈し、「手術は若い年齢(思春期ごろ)で行うほうがよい」と結論しています。

この研究の限界

ここまでの結果は、次の限界を踏まえて読む必要があります。

  • 対照群がありません。手術を受けなかった人と比較していないため、変化が手術によるものなのか、時間の経過や他の要因によるものなのかを区別できません
  • 単一施設・中国のサンプルです。文化的背景や医療環境が異なる日本にそのまま当てはまるとは限りません
  • 評価は術後 1 年の時点のみです。Nuss 法では一般にこの時期はまだバーが胸郭内に留置されています。バー抜去後や、より長期の心理状態は分かりません
  • 心理質問票のみで、生活の中で実際に何ができるようになったか(人前で着替えられるか、など)は測られていません
  • 対象は手術を受けると決めた人だけです。手術に期待して臨んだ人が多いと考えられ、期待そのものが結果に影響する可能性があります
  • 統計的な有意差は示されていますが、臨床的に意味のある大きさの変化だったかは不明です
  • SCL-90 の複数の下位尺度をそれぞれ検定していますが、多重比較による偶然の有意差を十分に調整した分析かは明確ではありません。補正の方法によっては、一部の有意差が維持されない可能性があります
  • SDS は全員に一律実施されたわけではなく、SCL-90 の結果が一定の条件を満たした人が回答しています(前述)
  • 原著の結果セクション本文と Table 2・考察のあいだに、得点の増減の向きについて記述の不整合があります(前述)

なお、この研究では抑うつ判定と血小板の反応性など生物学的な指標との関連も探索的に測定されていますが、解釈が定まった話ではないため、本記事では扱いません。

結局、何が言えるのか

この 1 本の研究から言えることを、できるだけ正確に並べると:

言えること

  • この手術対象集団では、術前の時点で半数以上が抑うつ質問票の基準値以上だった(153/266 人)
  • 手術 1 年後、集団の平均得点は複数の領域で低下したと報告された
  • ただし、術前に基準値以上だった人の約半数は術後も基準値以上だった
  • 術後時点の Haller index は、抑うつ判定の有無で有意差がなかった

言えないこと

  • 「手術を受ければ気持ちが楽になる」とは言えません
  • 「手術は心には効かない」とも言えません
  • 「基準値以上のままだった人は、まったく改善しなかった」とも言えません
  • あなたがどうなるかは、この研究からは分かりません

手術とは別に、心のケアの選択肢がある

この研究から持ち帰れるのは、胸の形を治療することと、心理的な負担に対処することは、重なる場合はあっても、同じ結果を保証するものではないという点だと思います。

だとすれば、心の負担に対しては、手術とは別のアプローチも並行して検討する価値があります。

「手術をすれば全部解決する」と考えて臨むと、そうならなかったときの落差が大きくなります。 心のケアを手術と切り離して考えておけば、手術を選んでも選ばなくても、手元に残る手段があります

大切な但し書き

  • 本記事は特定の研究の紹介であり、手術の推奨・非推奨を意図するものではありません
  • 紹介した研究は対照群のない単一施設の観察研究です。因果関係を示すものではありません
  • 記事内の「基準値以上」は質問票上の判定であり、医師による診断ではありません
  • 手術の適否・時期・期待できる効果は、個人の状態によって大きく異なります。必ず主治医と相談してください
  • 気分の落ち込みが続く、日常生活に支障が出ている場合は、手術の検討とは別に精神科・心療内科などへの相談を検討してください

まとめ

  • 266 人を術前と術後 1 年で比較した研究では、術前に 153 人(57.52%)が抑うつ質問票の基準値以上だった
  • 術後、集団の平均得点は身体化・対人感受性・抑うつ・不安などで低下したと報告された
  • しかし、術前に基準値以上だった人の約半数(49.67%)は術後も基準値以上だった(得点が改善しなかったという意味ではない)
  • 術後時点の Haller index は抑うつ判定の有無で差がなかった(p = 0.236)。ただし矯正量との関係を調べた研究ではない
  • 対照群がなく、術後 1 年(バー留置中)の評価であり、日本にそのまま当てはめられる研究ではない

胸の形が変わることと、気持ちが軽くなることは、重なることもあれば、重ならないこともある。 別の問題として、それぞれに手をつけておく——この研究から持ち帰れるのは、そういう現実的な構えではないかと思います。

漏斗胸の全体像は漏斗胸とは?胸の凹みだけではない身体・見た目・生活への影響から、手術そのものの内容はNuss 法(漏斗胸の手術)とはから読めます。